何年前だったか忘れてしまったけれど
岡本太郎記念館でだったか
どこだったかで出会った、加藤くん。

加藤くんは絵本を描いていて、荒川修作氏に傾倒していて

「夢はかならずかなう!夢はかならずかなうんです!

ぼくは

妖怪になります!」

とでっかい声で叫んでいました。

加藤くんは妖怪になることについて「死なない」と言っていました。
荒川修作氏の「死を克服する」という考えに影響を受けているのかなあと思っていました。

そうそう、いっしょに荒川修作氏と対談したこともありました。
ぼくは「死ぬことがなんでいけないのか?死の瞬間こそ、だれも体験したことのない、わくわくすることなのではないか?」とか、死後、来世のために現世を生きる人の話などをしました。

荒川さんはそれにたいして、死を常識として生きるのは悲観的で、無責任だというようなことを言っていました。

で「ぼくは妖怪になります!」と叫んでいた加藤くんは

まだ妖怪になる夢を抱いていた!
しかも、それを撮影されて、映画になっちゃってた!

加藤くんからのメッセージ

ので、見に行きました。


どアップの中年男性の映像が90分続く


加藤くんの熱すぎる演説、友達や両親など周りの人の証言などで、次々に暴かれ、丸裸にされても
ちょっとこまった笑顔で「妖怪になる!」「死なない」「夢はかならずかなう」という加藤くん

バカにされたり笑われたり、もしかしたら自分でも迷っているかもしれないけど、なんだかもうヤケクソな感じで絶叫する加藤くん。

おもしろかったなあ。


実際、絵本作家への夢はかなっちゃった。


で、映画を観終わってからひさしぶりに会った加藤くん、とても優しい感じの、ほんとにいい人なんだなあ。
再会を喜びあいました。


で、帰り道に「死なない」ってどんなことかと考えた。

そもそも、生きている、存在しているってどうゆうことかと考えると、何か、自分じゃないものが自分の
ことを感じている、知っている状態じゃないかと思った。

星が光っていても、昼には見えない。
でも、星が光っていることを一人でも知っている者がいれば、その星は存在している。

でも、星がそこにあることを宇宙の中の誰も知らなければ、その星は存在していると言えるのか?

誰にも会わなくても、誰かが知っている、それは人間じゃなくても、誰かに知られているというのが生きていること
他者との関係が自分の存在している証明だという考え方でいれば

死なないっていうことは実現できると思う。

荒川修作氏は、数年前に亡くなった

でも彼のことを知っている人はたくさんいるし、未だに影響を受けて活動している人がいる

ということは、死んでいないっていうことにもならないかなあ。


ところで、妖怪になるって、死なないってことだけなのか…
妖怪は生き物とは全然違う、「現象」に近いと思う。
だとすると、やっぱり生死は超えている。
でも、妖怪を知っている人がいないと、やっぱり存在しないんだなあ。

ってことは、やっぱりそうゆうことか!